提案されている環太平洋経済提携協定に関する意見書
2010年1月25日
アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議(AFL−CIO)
《 目 次 》
前書き
1 前提事項
A 雇用
B 市場参入
C 過去の経験からの教訓
D 単一の協定か複数の協定か
2 労働法改正
3 貿易協定の標準条項
A 新たに検討すべき課題 【省略】
(1) 通貨
(2) 民主主義
(3) 新参加国の参入
(4) その判断基準
B 条項毎の改革
(1) 労働
(2) 投資
(3) 調達 【省略】
(4) サービス 【省略】
(5) 貿易改革とセーフガード 【省略】
(6) 知的財産 【省略】
(7) 消費者保護 【省略】
4 追加的検討課題 【省略】
A 米国が必要とする輸出振興戦略
B 貿易調整支援を超えて
5 結論
前書き
2009年12月16日、米国通商代表部はシンガポール、ニュージーランド、ブルネイ、オーストラリア、ペルー、ベトナムとの間で交渉されている環太平洋経済提携協定(TPP)に関してパブリック・コメントを求める要請を連邦官報に掲載した。通商代表部は「高水準の21世紀にふさわしい協定」を目指しており、「その協定は米国の労働者、農民、牧場経営者、サービス供給業者、中小企業に経済的にも大きな市場参加機会を提供するであろう。」と述べ、そのような協定の交渉目的を推し進めるための支援としてパブリック・コメントを求めている。このコメントは以上の要請に応えるものであり、2009年2月25日と3月10日に通商代表部に提出したTPPに関するコメントを補充するものである。
AFL-CIOは貿易協定の枠組みを包括的に見直そうとするオバマ政権の公約を歓迎する。しかし、見直しは交渉の途中ではなく、新しい交渉に入る前に行われるべきである、と考える。また、TPP交渉の行われている間、議会や市民社会と頻繁で実質的な協議を行うという約束を歓迎する。これはブッシュ政権の下で貿易協定が制定されていたやり方から大きく転換したことを示している。ブッシュ政権は労働組合や市民社会組織からの重要な情報提供を無視し、2006年の連邦議会選挙によって初めて我々の懸念の一部に応えざるを得なくなった。
AFL-CIOはアジア太平洋地域の諸国との貿易協定を交渉することに原則的に反対しているわけではない。しかし、これまでと同様、貿易協定が均衡が取れ、良質の雇用の創造を促進し、働く者の権利と利益を守り、健康的な環境をもたらすものでなければ支持することはできない。同時に、貿易協定が機能するためには公正に一貫して執行されなければならないことを指摘しておく。さらに、インフラ整備、輸出促進戦略、旺盛な労働市場政策などの補助的な政策なしには望ましい結果を生まない。この文書は全ての人の利益となるような良好な協定を作ることを目的にし、そのために必要な数多くの国内政策の改革を明らかにしようとするものである。
1 前提事項
貿易協定の標準条項に必要な具体的な改革を提起する前に、前提となる事項をいくつか指摘したい。
A 雇用
オバマ政権は大恐慌以来最悪の経済危機の最中に政権に着いた。昨年成立した経済回復パッケージは効果があったが、景気後退以前と比較して1000万人の雇用が失われており、減少速度は逓減したものの、未だ底を突いてはいない。現在の雇用危機によって引き起こされている、消費者の購買力の減少、失業による住宅の差し押さえ、地方・中央政府の基礎的サービスの切り下げ、地域社会への打撃、などの経済問題は持続可能な経済回復を蝕んでおり、労働力と国内経済基盤の両方に長期的な傷跡を残すであろう。
AFL-CIOは政府の政策や提案をそれが持続可能な国内、世界経済の発展に貢献するかどうか、良質な雇用を速やかに生み出すか、という観点から評価している。これまでは貿易によって、高賃金で労働組合がある製造業での雇用が失われ、その代わりに新しく生まれる雇用はより不安定で低賃金で熟練を必要としないサービス業の雇用だということが多かった。(とりわけ専門的資格を持たない人にとってはそうである。) 事実、製造業の雇用喪失とそれに伴って高賃金の雇用がなくなったことは、2008年の経済危機の重要な前提条件だった。貿易政策を国内の投資、インフラ、産業政策と調和させ、貿易が将来の良質な雇用の創造に貢献することを保証するような、はっきりとした国内経済戦略が必要とされている、と信じている。交渉を通じて雇用に焦点を当て、交渉での決定が米国国内の質の高い雇用を目指す、調和の取れた政府の戦略にどう貢献するのか、考えるよう強く要請する。また新たな貿易協定の結果、労働者の良質な雇用が犠牲にされ、投資家に大きな新しい機会を与えるようなことを許してはならない。
B 市場参入
この貿易協定、あるいはどんな貿易協定も期待される市場参入が実際に実現されるように特段の注意と力点が置かれなければならない。これまでの貿易協定では関税措置と非関税措置が切り離され、別の交渉担当者に任されることが多かった。このようなやり方は、効果的な市場参入が関税障壁と非関税障壁の両方と取り組むことに掛かっていることを見落としている。多くの貿易協定では関税引き下げは参入拡大に繋がらなかった。というのは調印国が米国製品の参入を防ぐために非関税措置を維持、あるいは新設したからだった。TPPには結果重視の手法を取り入れ、市場参入制限が撤廃されない場合には自動的な対抗措置を許す措置を設けるべきである。さらに、世界的な供給連鎖の複雑さを考慮して、原産地規則は調印国が新たな市場参入の第一の利益者となるように取り決めるべきである。また技術移転や生産の移転を市場参入の条件としてはならない。
C 過去の経験からの教訓
米国はTPP参加国となる可能性のある7カ国の内、4カ国(オーストラリア、チリ、シンガポール、ベルー)と貿易協定を既に結んでいる。しかし、米国政府はこれらの貿易協定の経済的社会的影響については、肯定面も否定面も、総合的な分析をまだ行っていないようである。これらの4カ国と交渉に入るためには、既存の協定のどこが機能し、どこが機能しなかったのかをまず知り、それから新しい協定の中でその課題に応えようとしなければならない。したがって、米国政府が4つの既存の協定の総合的影響評価を行い、その中には2009年貿易法案(H.R.3012/S.2821)の第3節に挙げられている事項に関する情報を出来る範囲で含まねばならない。我々が特に関心を持っているのは賃金と雇用に対する全般的、分野別の影響である。さらに通商代表部が既存の協定の結果生まれた否定的な影響に対処する総合的なアクションプランを策定するよう強く要請する。
さらに、既存の協定に関して執行上の問題がある場合には、米国政府はその執行上の障害に対処するよう注意と資財を向けるべきである。例えば、政府説明責任局(GAO)の調査によれば、ヨルダン、チリ、シンガポール、モロッコとの自由貿易協定の労働条項、環境条項の遵守状況はよく言って不均衡であり、この問題について米国政府の関与はほとんどなかった。
(原注1) 過去の間違いや無策から学ぶ真剣な努力を行い、政府が貿易協定中の労働・環境などの条項を完全に実行することを国民が信頼できるようにするべきである。
D 単一の協定か複数の協定か
米国が既に貿易協定を結んでいる国を一つ以上含む国々と地域貿易協定を結ぼうとしたのはこのTPP以前には一回しかなかった。それは1994年1月1日に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)で、そのちょうど5年前にカナダとの間に二国間自由貿易協定を結んでいた。
NAFTAは1990年6月10日にメキシコと米国との間の交渉から始まり、米国はカナダとの自由貿易協定の内容をメキシコに拡張しようとした。メキシコとの個別的問題に対応するために追加的な条項が交渉され、米国議会の承認を得るために労働と環境に関する付属協定が交渉された。NAFTAが発効するとカナダとの自由貿易協定は完全に破棄されたが、そもそも二つの協定の間にはほとんど違いがなかった。
(原注2)
これから交渉されるTPPはNAFTAより複雑な協定である。第一に米国が既に結んでいる4つの協定の間にはいくつか大きな違いが存在している。例えば米豪自由貿易協定の投資条項には投資家と国家の間の紛争解決に関する条文がない。シンガポールとの自由貿易協定、チリとの自由貿易協定には専門家の一時的入国のための全く新しい滞在資格を現在のH-1Bビザ制度と別に設けている(我々の見解ではこれは間違いである)が、その他の国との自由貿易協定にはない。最近の出来事としては、米国ペルー自由貿易協定は2007年5月10日の貿易枠組みの結果、いくつかの章に変更が加えられている。既存の協定を調和させることは控えめに見ても困難だろう。より重要なことは、このような調整の結果、全く支持できないような協定になってしまうことである。
第二に、ニュージーランド,チリ、シンガポール、ブルネイは2005年に環太平洋戦略的戦略的経済提携協定(P4)を締結している。P4は米国が締結している自由貿易協定と同じような課題の多くを扱っている。しかし、投資、労働、環境などについての条項(後者2者については弱い付属協定があるだけである。)がないし、条項毎に基礎となる政策が異なっている場合があり、しかも重複がある。P4はオバマ大統領が望ましいと表明してきた協定内容とは合致しない。したがって、P4はTPPの基礎とはなりえない。
米国政府には三つの選択肢があるように思える。
- 既存の貿易協定を超越するような中心的で包括的な協定にTPPを発展させる。
- 既存の自由貿易協定やこれから結ばれる自由貿易協定の中の一つとしてTPPを発展させる。この場合、これらの自由貿易協定の中身には幅広い多様性がありえる。
- TPPを発展させて一つルールを作るが、既存の貿易協定も並存させる。いつ、どちらのルールを適用させるか誰が決めるのかという問題が発生する。ある国がある自由貿易協定とTPPの内のどちらか有利な方を商業ルールとして利用することは許されるのか?このことは労働と環境条項による当てはまるのか?
AFL-CIOとしては我々の考える貿易協定を21世紀に実現する唯一の方法は一番目の選択肢だと強く信じている。もちろん、個々の国が条文の一部変更が必要になるような独自の異議を提出するかも知れない。しかし、既存の自由貿易協定をそのままにして置くことは許されない。
2 労働法改正
TPPの潜在的参加国はすべてILO加盟国であり、国際的最低労働基準を尊重し、広め、実現することに合意しているものの、各国はその基準に、それぞれ度合いは異なるが、到達していない。米国政府は各参加国政府や労使代表と労働法改正に向けて話し合いを開始し、国際最低労働基準に合致するよう労働法を改正するために各国の社会的パートナーが働き始めることを奨励しなければならない。協定が施行される前に全ての参加国が国際最低労働基準を満たしていることが決定的に重要である。米国政府は労働法改革に関して政府間交渉は厳に避けるべきである。というのは法改正過程で労働者の見解を無視することになるからである。
TPPの潜在的参加国の労働法の欠陥に関しては2009年3月10日にAFL-CIOの見解を通商代表部に提出している。通商代表部がその報告書を再度読み、さらに2008年1月25日にベトナムの一般特恵待遇資格に関する意見書を提出しているのでその報告書も合わせ参照することを強く要請する。
3 貿易協定の標準条項
A 新たに検討すべき課題 【省略】
(1) 通貨
(2) 民主主義
(3) 新参加国の参入
(4) その判断基準
B 条項ごとの改革
(1) 労働
その当時にも明らかにしたように、2007年5月10日の労働問題に関する妥結は重要な一歩前進ではあったが、効果的な労働条項に必要な全ての要素を含んではいなかった。TPPは二国間ではなく地域間の協定なので、参加国の労働法や労働市場政策を監督するような効果的な超国家機構を作ろう、という有力な議論が起こっている。さらに、労働者にTPP地域で共通の雇用主と協議する手段として、既存の重要な労働基準執行機関の他に何らかの機構を考える時が来ていると考える。環太平洋戦略的経済提携協定の一部としてP4諸国の間で交渉された労働に関する覚書がTPP交渉の労働条項の模範となるべきではないことは言うまでもない。なぜならば、この覚書は非常に弱く、執行のための機構を持っていないからである。
以下は将来の協定で交渉されるべき事項の一部である。
労働権の基準と遵守の水準
@ 最低基準
米国ペルー自由貿易協定はこれまで米国が締結した貿易協定の中では労働権の最低基準に関して最強の規定を持っているが、まだ不十分ではある。
『17条2項 基本的労働権
1号 締結国は労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言とそのフォローアップ(1998年)に定められた以下の権利を法令、規則、行政の中で採用し維持しなければならない。
a, 結社の自由、
b, 団体交渉権の効果的な承認、
c, あらゆる形態の強制労働の廃止、
d, 児童労働の効果的な廃止とこの協定の目的に従い、最悪の形態の児童労働の禁止、
e, 雇用と職業の差別の撤廃 』
この17条2項1号の但し書きである17章の脚注2は『17条2項で定められた義務はILOに基づくものであるが、ILO宣言のみに規定されている。』としている。この脚注は仲裁の際に、関係国が遵守しなければならないのは権利そのものではなく、ILOの中核的労働権の基礎となっている原理一般であると、解釈される恐れがある。しかし、我々はこのような解釈を強く非難し、将来の協定ではこの注釈は削除されるべきである、と考える。
さらに、「中核的労働基準」は概念として狭すぎるので、もっと広範な権利について言及すべきだ、ということを主張する人も多い。確かに、NAFTAの労働付属協定では労働災害補償や移民労働者の権利などについても触れられている。このような課題についても既存の法令や規則を遵守する義務を設けることも一歩前進となるであろう。TPP締結国間の労働力募集や労働契約に関して明瞭な保障を与えるような条文を入れることもまた前進となるであろう。
A 逸脱禁止 (訳注1)
米国ペルー自由貿易協定の17章は次のように定めている。
『17条2項2号 締結国間の貿易あるいは投資に影響するような形で、第1号を執行するための各国の法令、規則を逸脱したり放棄したり、あるいはしようとして、同号で定められた基本的権利に違反してはならない。』
我々はこの表現に深刻な懸念を抱き続けている。
第1号を執行する法令、規則を引用しながらも「受け入れられるような労働条件」という条文を引用していない。これにより参加国が貿易や投資を呼び込むために賃金、労働時間、労働安全衛生に関わる法律を弱めても制裁を受けずに済むことになる。事実、ペルー政府は自由貿易協の批准投票の直ぐ後に、今や定義変更によりほとんどの企業が該当することになった中小企業労働者の時間外労働補償と年次休暇を切り下げてしまった。米国ペルー自由貿易協定の下では、このような労働法の切り下げに対して、対抗することはできない。
第二に同条項の最後の号によれば、基本的権利の最低保障に違反しない限り、貿易と投資を呼び込むために基本的権利に関する法律を引き下げることが可能となる。仮に国際的に必要とされている水準を上回る法律を持っている国では、制裁を受けずに国際基準を守れる最低の水準まで引き下げられる可能性がある。ILOの基本的権利の遵守状況を後退させるようなことは禁止しなければならない。
最後に、「貿易あるいは投資に影響するような形で」という文言についてはさらなる解明が必要である。ある逸脱や放棄により貿易や投資が拡大したということを証明する義務が申し立て者にはあるのだろうか? 仮に貿易と投資とのリンケージが維持されるのであるのなら、貿易や投資に関連した企業に働く労働者は、自分に適用される労働法が弱体化されるか、継続的に適用されない場合には逸脱禁止の申し立てをできるように修正されるべきである。
B 遵守の水準 (訳注2)
米国ペルー自由貿易協定の第17条3項は労働法が遵守されるべき水準を反映している。現在のところ以下のような規定となっている。
『第17条3項 労働法の遵守
1号(a) 締結国はこの協定の発効日以降、持続的あるいは反復的な行為もしくは不作為により、締結国間の貿易や投資に影響するような形で、第17条2項1号に基づき制定あるいは保持するものを含めた労働法を、効果的に遵守することを妨げてはならない。
(b) 締結国が法令遵守のために執行手段を整備する決定がこの章の規定に対する不履行の理由となってはならない。第17条2項1号に列挙されている基本的労働権の遵守のためにどう執行手段を整備するかに関して締結国は裁量権を合理的に行使し、善意に基づく決定を行う権利を保持している。ただし、その裁量権の行使と善意の決定はこの章が定める義務と相反してはならない。
2号 この章は他国の領土において労働法遵守行為を行う権限を締結国に与えるものと解釈されてはならない。』
この表現にはいくつか問題がある。
「持続的な、あるいは反復的な行為もしくは不作為」の場合にのみ違反と見なされるのは問題である。例えば労働組合に加入する権利などが、二度以上侵され救済されない場合は違反であると明確にすべきである。違反と認定されるためには、反復される行為とは、(例えば組合のオルグを解雇するなど)同じ種類の違反である必要はないし、(査察しなかったなど)同じ種類の不作為である必要はない。また申し立てをするには、(例えば衣服や農業など)複数の産業での違反を証明しなければならない、ということであってはならない。また、司法手続きの不当な遅滞をどう具体的に改善するか協定に明記する必要がある。
注目すべきことに、労働協調に関する北米協定(NAALC)はこのような規定を設けていない。つまり、締結国が労働法を一度でも遵守できなかったら問題を提起することが出来る。事実、NAALCによる申し立てのほとんどは未救済の違反事件(単数)もしくは一つの企業での違反事件(複数)である。もちろん幅広い救済を得るためには、申立人はできる限り多くの違反例を集めるべきである。しかし、現在の米国ペルー自由貿易協定の文言では直に救済する必要があるよう重大な違反であっても、それが一回だけのものであれば、あるいは申立人がその違反が傾向的で慣行的であるという証拠を集められない場合、申し立てをすることが難しい。このようなことは受け入れられない。
「締結国間の貿易あるいは投資に影響するような形で」の違反という要件も問題がある。これにはいくつもの問題が孕まれている。「形で」ということは、政府が法律を効果的に適用しなかった場合、貿易と投資に影響するある程度の意思を持っていたことを申立人は証明する必要があるのか。「影響」について言えば、両国間の貿易が相当大きく歪められたことを申立人が証明する必要があるのか。直接輸出される製品を製造するのではなく、後で輸出される製品の部品・素材を製造する産業での労働法の遵守違反は貿易に「影響」すると言えるのか。
貿易あるいは投資と労働権の関連が維持されるのならば、広く解釈することが重要だとAFL-CIOは考えている。つまり、国際的な通商に少しでも関連する製品を製造したりサービスを提供する職場、あるいは直接間接の投資に関連する職場での労働法違反はどんなに小さな違反であっても適用されるべきである。さらに、申立人はその労働法違反が貿易や投資にどのような影響を与えたかを立証することを必要としないようにすべきである。NAALCにはそのような要件がなく、替わりに締結国間の貿易量に応じた罰金を最後に科している。
C 強制労働と自由貿易地域
強制労働によりその全部あるいは一部が作られている製品の輸入を禁止することは協定の重要な前進となるであろう。強制労働、少なくとも奴隷労働の形態、あるいは奴隷に近い行為は、いかなる国も逸脱できない強行規範であるので、二つの関連する条約が定めているように、TPPの全ての締結国は強制労働による製品あるいは強制労働に基づくサービスを輸出入することを許されてはならない、という当然の主張が出されている。
(原注3) 各国は禁止されている商品が他国の領土に輸出入されないよう必要な手続きを定めなければならない。最悪の形態の児童労働により作られた製品やサービスの輸出入を禁止することも強く主張する。
紛争解決
既存の自由貿易協定(北米自由貿易協定、米国ヨルダン自由貿易協定、中米自由貿易協定、米国ペルー自由貿易協定)はそれぞれ異なる労働問題の紛争解決手続きを持っているが、それぞれ長所と短所がある。しかし、いずれの手続きも長く掛かりすぎ面倒であり、苦情申し立てを受け入れ、訴追するかどうかの裁量権が大きすぎ、救済策も不十分である。
一般的には労働問題の紛争解決は以下のようであるべきである。
1 OTLA
(訳注3) (貿易に関する労働問題事務所)は事実が証明されれば貿易協定の労働条項違反となるような苦情申し立ては全て受け入れ検討すべきである。申し立てを受けたらOTLAは申し立てを慎重に調査し、現場訪問、申立人、その他の被害労働者、雇用主、政府からの聴き取りを行う必要がある。その手続きには公聴会が含まれるべきで、そこで雇用主がその国の労働法に違反しているか、その国がその労働法を効果的に履行できていないかに関する証拠が提出される。全ての訴えに関する事実と労働法に関する調査報告が提出され、紛争解決のために雇用主と政府に対する具体的な勧告がなされるべきである。その報告書提出に続き、当事国はその勧告に基づき申立人との協議により、大臣級協議を行うべきである。その協議の目的は、申し立てられた違反に全面的に取り組むための指標と行程表を含む行動計画について交渉することである。
2 協議により問題が解決できない場合、あるいは行動計画が履行できない場合は、当事国は仲裁手続きに入る。労働法の専門家による仲裁委員が記録を初めから検討し、調査結果と勧告を含む最終報告を作成する。この仲裁委員の報告に基づき、拘束力のある行動計画が作成される。違反国には行動計画を履行するための合理的で具体的な行程表が示される
3 当事国の一つが行動計画が十分に履行されていないと考える場合は、同じ仲裁委員が任命され、行動計画の全部または一部が履行されていないかどうか審理する。もし当事国が最終報告を履行していない場合、仲裁委員はその労働法違反が行われた分野での便益を差し止める決定を行うべきである。政府に罰則を与えるだけでなく、仲裁委員は最終報告を履行しなかった雇用主にも制裁する権限を持つべきである。
このような手法を実現するためにOTLAガイドラインと貿易協定条文を具体的に改正する必要がある。OTLAガイドラインの改正についてはここでは取り扱わない。米国ベルー自由貿易協定に必要な改正については以下に述べる。
- 第17章と21章を通じて、申し立てを受けた当事国は協議と紛争解決手続きをどこまでやるか完全な裁量権が与えられている。例えば17条7項1号、同7項4号,同7項6号、21条4項1号、同5項1号と2号、同6項1号、同16項の一部、同17項の一部参照。労働に関する苦情申し立てが受け付けられた場合、全ての有効な申し立ては完全に決着するまで解決手続きを経ることを義務付けなければならない。
- 米国ペルー自由貿易協定はその17条7項で協調的労働協議について定めている。締結国が労働問題に関する政府間の定期的協議を行う別の機関を持つことに異議はない。しかし、21章に定める紛争解決手続きによる協議の前に、この17条による協議を行うことを必要とされ、その介入を受けることには反対する。当事国が仲裁に入る前に紛争を取り扱うためには、21章による協議と委員会による介入だけで十分である。もし17条による協議と相談手続きが維持されるのならば、21章に基づく同様の協議は省略できるようにすべきである。
- 協議に関する条文は先に述べた行動計画構想を採用するために修正するべきである。
- 第21条16項は最終報告を履行しない当事国があれば、当事国同士の損害賠償交渉に入っても良いと定めている。これでは意味がない。双方が合意した金額の金銭を国庫間でやりとりしても、具体的な労働条件の改善には繋がらない。金で解決する選択肢は排除するべきである。同様に、協定では便益の差し止めの代わりに当時国が年間賦課金を支払うこともできるように定めている。賦課金は、別に合意されない場合は差し止められる便益の価値の半分である。これも労働問題の苦情申し立てにはふさわしくないように思える。便益の差止めはその分野での法律遵守を経営者に促し、政府がその業界の悪い経営者を取り締まるよう、同じ業界のよりましな企業経営者が政府に圧力を掛ける結果に帰着する。米国政府に賠償するだけでは経営や政府のやり方を変革するきっかけとはならない。とりわけ、賦課金の金額が将来の悪行を防止するほど高くない場合はそうである。
- 違反事件の件数や程度にかかわらず、最小限の便益の差し止めを実施すべきであり、その程度は紛争解決手続きの初期の段階で労働条項違反を解決しようと当事国が望む程度のものであるべきである。さらに、改善が見られない場合、つまりその当事国が最終報告を遵守しない場合、あるいは同一の国に対して新たな事件が提起され、最終報告がまた提出される場合、差し止めの段階、範囲を年々高めることが可能でなければならない。最後に仲裁委員は政府の他に直接雇用主に制裁を与え、勝利した申立人への費用支払いを命じる権限を持つべきである。
- 最後にここで述べられている手続きにはかなりの時間を要することに注意すべきである。大きな企業は時間と資財があるので、訴訟を行い、手続きが始まってから最終報告が出るまで一年近く待つことができるが、農業労働者や工場労働者は権利の行使のために職を失っており、そのような余裕はない。労働に関する苦情申し立ての手続きは出来る限り短縮されなければならない。
機 構
米国が二国間貿易協定を締結する度に新しい労働機構を作ることは意味がないが、地域の場合には労使関係を取り扱う国際機構を作ることは意味がある、という強い主張が展開されている。確かに、強く統合された北米地域をカバーするNAFTAには労働協調委員会
(訳注4) が設立された。NAALC
(訳注5) (NAFTA付属労働協定)から学んだ多くの経験に応えるよう労働委員会を改組、改良することは大きな意味があるかも知れない。特に提案されているTPPがAPECの範囲にまたがる協定として拡大する可能性を持っていることを考えるとなおさらそうである。
作られるべき機構は労働大臣官房のようなものになるだろう。その目的は国境を越える労働問題と取り組むための社会的パートナーの共通の場を提供することであり、また例えば労働法、労働監督、国内国際労働市場動向、労働力国際移動、産業研究などの調査を行うことである。事務局にはまたTPPの労働条項の遵守状況について定期的で独立した報告が委任できるかも知れない。事務局を立ち上げ方向付けるために政労使からなる諮問委員会が役立つかも知れない。しかし、このような機構が機能するためにはNAFTA付属労働協定の事務局を悩ませた財政不足、政治的独立性の欠如、そして後になって批判されたような腐敗と無能を克服する必要がある。
(原注4)
国境を越える労使関係
貿易協定の労働条項は実効性の差はあれ、すべて労働基準遵守の仕組みを備えているが、国境を越える労使関係を具体的に改善することにはほとんど役立っていない。そのような条項が機能していれば、経済地域の中の供給連鎖を越えて労使関係と取り組む能力を労使に与えることにより、効率的になるであろう。米国がTPP締結国の二カ国以上で事業を行っている共通の雇用主に雇われている労働組合が労使関係と取り組むための委員会を結成することができるような条文を採用することを検討していることは意味のあることである。その条文は500人以上の労働者を雇用し、TPP締結国の二カ国以上で少なくとも100人以上を雇用する全ての企業に適用される。このような企業の経営者は、会社が営業する全てのTPP締結国から労働者代表を委員会に招集し、経営側と会って、情報を受け取り、企業と従業員に影響を与える決定や直近の戦略について意見を述べる機会を設けなければならない。TPPはこの条項を国内法にするために、例えば2年間の、合理的な猶予期間を各国に与えねばならない。この委員会は年一回開催され、必要ならばそれ以上開催される。この委員会は研究、環境、投資、労働安全、機会均等などの幅広い経済、金融、社会問題を取り扱うべきである。
(2) 投資
連邦議会は既に期限切れで無効となった貿易促進法により、通商代表部に「米国内の外国投資家が国内投資家より大きな実質的な権利を付与されることがないよう」命じた。しかし、NAFTA以後改善されたとはいえ、自由貿易協定の投資条項は依然として外国投資家に対して国内投資家を上回る権利を要求することを許す条項を含んでいる。さらに、貿易協定の投資家対国家の紛争解決制度は重大な欠陥を持っており、この私権による訴訟の乱用を制限できるような管理手段、例えば常設の上訴制度、消尽要件、外交審査などを含んでいない。最後に、個々の投資家に用意されている紛争解決手続きや救済策と、環境基準や労働者の権利に対する違反に適用されている履行条項との顕著な違いは、交渉の目的を全て平等に扱い、紛争解決手続きや救済が平等に使えるようにという貿易促進法の要件を無効化している。
TPPは投資に関して独特の立場におかれている。というのは、米豪自由貿易協定は投資家と国家の間の紛争解決制度を持っていないのに、チリ、シンガポール、ペルーとの自由貿易協定は持っているからである。これによりいくつか問題が生じている。1.この投資家と国家の間の紛争解決条項についてTPP参加国の間で共通の立場は存在するのか。2.もし存在するとなると、既存の自由貿易協定でTPPの立場と一致しないものはどうなるのか。3.もし存在しないとなると、米国政府はいかなる基準でTPP参加国の間で区別するのか。
以下は投資に関する条文を整えるための具体的な勧告である。
労働
労働に関する法律や規則が潜在的な危険にさらされることのないよう、投資条項モデルを次の二点において改善すべきである。
- 米国ペルー自由貿易協定の第10条11項は、締結国は投資活動が環境に配慮した形で行われるような政策を採用、維持、履行することを妨げるような形で投資条項を解釈してはならない、と規定している。この領域ではこれまで問題を経験してはいないが、労働に関しても同様の規定を設けるよう交渉すべきである。
- 収用に関する附則10-Bは、公共の福祉目的で、そのための非差別的な規制が間接収用に当らないものの一覧を表示している。この限定的な一覧には現在のところ「公衆衛生、安全、環境」が含まれている。この一覧にILOが定義している「ディーセント・ワーク」をはっきりと含めるべきである。
紛争解決
1 投資家と国家の間の紛争解決制度を国家間の紛争解決制度に置き換えること
自由貿易協定により設けられている国際的紛争解決制度は公共の利益に対して重大な脅威を与えている。多くの場合投資紛争の核心にある社会的価値や国内法についての理解や専門知識に欠ける国際仲裁委員が多いので、その判断はこれらの法律や価値を否定する恐れがある。特に、投資紛争が政府機関の間の権力配分や私有権の制限の範囲などの憲法問題に絡む場合、国内裁判所がこのような紛争を可能な限り管轄することが民主主義的透明性の原則から必要とされる。
国際紛争解決がふさわしい場合には、公共の利益を決定し守るという政府の不可欠の役割が保証される国家間の紛争解決を自由貿易協定は採用すべきである。国家間の制度では紛争が政治化される、という一部の批判がある。しかしこの批判は、政府間の紛争解決制度は法律に基づき、双方の当事者がその法律的主張を展開する公開の手続きである、という事実を忘れている。さらに調停や斡旋などの政治的な紛争解決と仲裁のような法的手段の区別を理解していない。最後に、二国間投資協定の投資保護枠組みを認めた双方の政府が全面的に関わるので、投資紛争の裁定にからむ公法や政策問題を適切に扱うには投資家と国家の間の仲裁よりも政府間紛争解決の方がふさわしい。
2 もし米国政府が投資家と国家の間の紛争解決制度を貿易協定に含むのなら、国際仲裁所に訴える前に、投資家は国内的な救済策を使い果すことを義務付けるべきである。
投資家と国家の間の仲裁に訴える前に国内的な救済策を使い果たすべきであるという義務づけは、国内法制度を通じて訴えに対処する国家の主権と、国内裁判所で正義が得られなかった場合に国際的な法廷を確保したいという外国投資家の利益との適当な均衡を図るものである。この消尽要件は国際法の基本的な原理である。米国市民と外国政府との間のほとんどの訴訟に適用される米国の政策でもある。
米国のこれまでの自由貿易協定はこの消尽要件を排除しているが、これは国内司法制度が外国投資家の訴えを公正に解決する能力を欠如している、という推定により成り立っている。米国の司法制度は私有権を強く保護しており、その権利を判断する中立的な裁判制度も保持している。外国投資家は、米国法が保証する以上に大きな権利を求めようとするのではない限り、米国司法制度の外で米国を訴える必要はない。消尽要件は法制度が発達していない国でも法の支配を促進することになるだろう。なぜならそれによりその国内裁判所は所有権の範囲と所有権に関係する規制の水準に関する国内法の水準を点検する必要が出てくるからである。
国内救済策を使い果たすことを要件とすることにより、現在外国投資家の利益をその他の労働、環境、人権団体より優遇している不均衡を回復することにもなる。これらの国内団体は国際法義務を守らせるために同様の訴訟をする私権を持っていない。
消尽要件を必要とすることは外国投資家に不当な負担を掛けることにはならない。投資家はその主張を通すために必要で十分な救済策を尽くすことだけが問われるからである。同様に、国内裁判所が救済をもたらすだけの権限がない場合には、国内裁判所に訴える必要はない。そのような場合は、投資家は直接、投資家と国家の間の仲裁に進み、その過程で消尽要件により異議が出された場合には、その必要がないことを主張すれば済む。同様に国内救済策を尽くすことが不当な遅延をもたらす場合にも、投資家は消尽要件に拘束されない。国内裁判所が国際法に基づく訴えを審議する裁判権を持たない場合でも、国内法に基づいて訴えの中身を提出するだけで消尽要件は果たされる。また国内救済策がない場合にも消尽要件は必要とされない。
国内救済策の消尽要件の他に、紛争解決制度は審査制度を設けて、不適切で、効果がなく、深刻な公の危害をもたらすような訴えを締結国政府が防止できるようにするべきである。
優越権の排除
米国の投資協定に含まれる投資家保護水準に関して、外国投資家に米国内の投資家を上回る権利を与えるべきではない、ということについては党派を超えた広い合意が存在している。連邦議会は2002年の通商法で初めて交渉当局に対して「優越権排除」原則を守るよう指示した。
(原注5) 2007年5月、ブッシュ政権と下院の民主党指導部はこの原則を貿易協定の投資条項の前書きに明記することに合意した。
米国の投資協定の中の間接収容
(訳注6) と最低待遇基準
(訳注7) に関する条項は国際慣習法の該当する水準を反映するように作られており、その国際法は「法的義務を果たそうとする各国政府の一般的継続的行為」により作られるものである。
(原注6) 米国憲法が外国と比較しても財産権の保護に関しては最高水準であることを考えれば、財産権の保護に関する政府の一般手継続的行為に基づく水準は通常、優越権排除原理に適合することになる。
残念なことに、仲裁所は投資協定の条項の中の「間接収用」と「最低待遇水準」を解釈する際に各国の現実の行為に基づいていない。仲裁所は基本的には投資家保護の「発展的」水準を作るために慣習法の手法を使い、他の仲裁所によるこれらの水準の説明を引用しているに過ぎない。
(原注7) 以下の提案は、多国籍投資協定モデルの中のこれらの条文で「優越権排除」義務に反する恐れのあるものに対する答えである。
1 国際慣習法の原則を証明する責任に関して、国務省がグラミス事件で示した立場を成文化すること
例えば米国ペルー自由貿易協定の10条5項は、「公正で平等な待遇」などの最低待遇水準は外国人の待遇に関する国際慣習法の水準に限定されたものであり、それ以上の追加的な権利を含むものではない、と規定している。同様に、その他の自由貿易協定も補償のない収用を禁止するのは、「収用に関する国家の義務に関する国際慣習法を反映しよう」とするものであると、規定している。
米国ペルー自由貿易協定の付属協定10Aではさらに国際慣習法は「法的義務を果たそうとする各国政府の一般的継続的行為により作られる」と説明している。この文言では国際慣習法の原則とされるものが実在することを証明する上で、十分な説明となっていない。このように国際慣習法を説明する水準がはっきりしないため、国際慣習法により導かれる間接収用と最低待遇水準の義務の範囲がはっきりしない。
国務省は最近行われたグラミス・ゴールド社対米国政府の仲裁事件に関して米国政府を代表して覚書を出したが、その中にこの点について有益な手引きを提供している。次の二つの原則が特に重要である。
- 原告は国際慣習法の規定の存在を証明する責任と、被告の政府がその規定に違反したことを証明する責任がある。(原注8)
- 仲裁所の裁定は国際慣習法の内容を証明するには不十分であり、とりわけその裁定が該当する国家の行為を調査していない場合は不十分である。(原注9)
投資条項はこれらの重要な原則に関する国務省の立場を成文化するべきである。それは国際慣習法を確立する正しい水準をはっきりさせるためであり、国際慣習法が最低待遇基準と収用に関連するのでとりわけ重要である。
2 多国籍投資協定モデルの中の最低待遇基準の内容に関して、国務省がグラミス事件で示した立場を成文化すること
グラミス事件に関して国務省は外国投資家と投資について最低待遇基準が国家慣行と法的確信
(訳注8) により確立しているのは「限られた領域」だけであると述べている。国務省は次の三つの領域を認めている。
○ 外国投資家と投資について国内での安全と警察による保護を与える義務(つまり「十分な保護と保障」)
○ 司法や行政手続きにおいて「著しく不正な」又は「言語道断の」行為により「正義を否定する」ことのない義務(つまりニア(Neer)基準)
○ 収用に対して補償する義務(これは多国籍投資協定や自由貿易協定の投資条項の収用条文と重複する)(原注10)
逆に、国務省は、最低待遇基準が投資
(原注11) あるいは「独断的」
(原注12) 行為に対する投資家の期待に反する行為を禁止しているというグラミス側の主張を退けた。投資家の期待に否定的影響をおよぼす政策に対しては最低待遇基準により補償すべきだ、というグラミス側の主張に対して、国務省はそのような解釈は均等待遇義務と合致せず、また政府慣行によっても認められていない、と指摘している。
「米国法は法規により自らの期待が損ねられたという説明だけでは原告に対して補償を認めることはない。例えば法規により財産を徴収されたことに対して損害賠償を求める訴えの証拠とはなりえない。国際法により求められる最低待遇基準により国家が国内法に従って通常行う行為が禁止される、ということは考えられない。」
(原注13)
同様に、仲裁所が「独断的」とみなす政府の施策に対して求められている補償は米国法が定める基準より高い権利を与えるものになるであろう。
3 自由貿易協定は受入国が投資を直接または第三者のために没収または占有する場合にしか「間接収用」は適用しないことを明らかにするべきである。また投資の価値を損なうような規制施策でも投資の所有権の移転を伴わなければ間接収用には当らないことも明らかにすべきである。
例えば、米国ペルー自由貿易協定の付属協定10-Bは「間接収用」の基準に関して重要な説明を含んでいる。とりわけ次の二つの規定が重要である。収用に該当するために所有権に影響を与える施策でなければならないという文言と、「例外的な場合を除いて、医療、安全、環境などの公共の福祉を保護するために計画され実行された締結国による非差別的な規制行為は間接収用には該当しない」という部分である。
このような改革にもかかわらず、多国間投資協定の間接収用条項が合衆国憲法修正5条の徴収条項による保護を上回る権利を外国投資家に与え、「優越権排除」に違反する形で適用される可能性が残っている。
例えば、収用に関する訴えを「投資」という広い分野ではなく「財産」に限定することにより制限するやり方も「優越権排除」を守るためには不十分である。というのは憲法修正5条の「法規による徴収」に定める補償は、不動産に影響を与える法規にしか通常適用されないからである。その例として、最高裁判所は法規による徴収の訴えが成立するには個人財産では要件を満たさない、と示唆している。なぜなら「伝統的に国家は商取引に対して強い統制力を持っているので、新しい法規により自らの財産が経済的に価値を失う可能性があることを所有者は自覚しているべき」だからである。
(原注14)
さらに、投資協定の間接収用条項は、政府による資産の徴収が実際にあったかどうかにかかわらず、政府の施策により投資の価値が受けた影響に対して補償が必要だと解釈されてきた。この間接収用の基準の解釈は国家の一般的慣行からして正当性がない。なぜなら補償がなされるのは政府が実際に資産を収用した時のみであり、規制的な施策により資産の価値が損なわれた時ではないのが国家の支配的な慣行だからである。
収用に関する国内法基準は、国際慣習法を適用するために必要な、国際関係に関わる国家慣行に該当しないという主張もあるかも知れない。しかし、収用に関する国内法基準は国内と外国の資産所有者双方の保護基準を一般的に定義するものなので、国家慣行を確認するのにふさわしい。法規による収用に関して国内投資家より高い基準の保護を外国投資家に与えることが国家の一般的で継続的な慣行である、ということを示すものは何もない。反対に、米国の「優越権排除」原理のように、国際慣行と財産保護の国内基準をはっきりと結びつけているところもある。
したがって、間接収用は政府が投資の所有権を間接に没収又は移転させる時にのみ発生し、政府の行為により投資の利益の価値が損ねられるだけの時には適用されないことを自由貿易協定が明確にするよう勧告する。この観点は「優越権排除」義務に合致し、国際慣習法の基礎をなす国家の一般慣行にも共に合致する。
4 投資の定義を狭め、米国憲法により保護されている財産の種類に限定すること。これにより利益や利潤の見込みやリスクの引き受け(訳注9)は含まないことになる。
例えば、米国ペルー自由貿易協定の10条28項による「投資」の定義は不動産権や米国憲法で保護されている財産に関する個別利害よりも広いものであり、「投資家が直接あるいは間接に所有しあるいは管理する全ての資産で投資の性格を有し、資本などの資産の投下、利益や利潤の見込み、リスクの引き受けなどの性格」を含んでいる。対照的に、米国憲法ではこのように広い経済的利害は財産として保護される形態とは見なされていない。さらに、この自由貿易協定の定義は、財産権益は財産法と迷惑法
(訳注10)の背景原理により制限される、という最高裁判断を認めていない。
さらに、先物売買、オプション、デリバティブなどの金融商品には特別の保護を与えないよう勧告する。
5 規制施策が基本的に差別目的に実施される事例にのみ内国民待遇を適用すること。
自由貿易協定(例えば米国ペルー自由貿易協定10条3項)での内国民待遇の反差別原則は広範囲なものであり、国際仲裁所での解釈により環境、労働安全衛生などの適切な公共利益保護に否定的な影響を及ぼす余地が残っている。WTOの判断がそうだったように、国際仲裁所が、表面的あるいは意図的な差別がなくても「事実上の」差別を生む規制行為を禁止するように反差別原則を解釈する可能性がある。例えば、環境を保護する中立的な規制行為が外国投資家に甚大な影響を及ぼす場合に反差別原則に抵触すると解釈される可能性がある。
6 親会社が存在する国の政府に対して外国の子会社が投資に関する訴えを起こせないように自由貿易協定の標準条項を修正すること
自由貿易協定における利益否認条項
(訳注11) の文言には企業が他の締結国の子会社を通じて投資家と国家の間の紛争申し立てをすることにより、自国での国内裁判所を迂回する抜け道を含んでいる。これは例えば、米国ペルー自由貿易協定の10条12項で、その企業が他の締結国で「実体のある経済活動」をしていれば認められる、と明記されている。多国籍企業がこの規定を不当に利用して、投資家が国際仲裁所に仲裁を申し立てる際に通常必要される「国籍の多様性」要件を回避しようとすることを懸念している。
国有企業
TPPにより締結国から米国市場への直接投資が増えると予想される。現在の、そして将来の締結国の国営企業から国内産業や労働者への投資の影響を考慮しなければならない。したがって、投資の権利問題とは主要に、外に向かう投資を保護するための一連の権利の問題として捉えることができなくなっている。外国の国営企業が米国資産を取得する場合、市場金利を下回る金利で投資のための融資を受けたり、外国政府から自由競争に違反する補助金を受けたりすることにより不当な優位性を得ないように協定で保証すべきである。全ての投資条項が均衡を生み出し、米国に投資し営業する外国の国営企業が国内の競争力、雇用創出、創造力を傷つけず、自由競争に反する行為をしないよう保証する必要がある。投資条項は実効ある規定を導入し、自由競争に違反するような外国の政府の干渉から米国市場を守り、米国市場での公正で開かれた競争を保障しなければならない。
(3 ) 政府調達 【省略】
(4) サービス 【省略】
(5) 貿易改革とセーフガード 【省略】
(6) 知的財産 【省略】
(7 ) 消費者保護 【省略】
4 追加的検討課題 【省略】
A 米国が必要とする輸出振興戦略
B 貿易調整支援を超えて
5 結論
TPPに関する見解を提出する機会が与えられたことを歓迎し、21世紀にふさわしい公正な貿易政策を生み出すためにオバマ政権と協力していけることを期待する。
<原注>
- 例えば、政府説明責任局、「説明責任局が調査した4自由貿易協定により商業上の利益はあったが、労働と環境上の課題が残る」2009年7月。
- メキシコ政府が交渉に先立って、総合的な分野別調査を委託して行い、国内の生産者と国民の経済的な利害を確保するという協定の目的を確認させていた、という事実は重要である。米国政府は同様の分析は行わなかった。
- 強制労働あるいは年季奉公により製造された製品は既に19 USC 1307により米国への持込が禁止されている。但し、米国産の製品と競合し、消費需要を満すほどの量が輸入されている場合に限られている。この消費需要に関する但し書きの削除が連邦議会で検討されている。
- 例えば、NAFTA付属労働協定事務局長だったマーク・クノースは2006年に辞任に追い込まれた。ペンシルバニア州の経営側ロビイストだったクノースは客との会食や旅費など彼自身のロビー活動に公金を使ったとして批判された。
- 2002年 通商法 H.R.3009,107th Cong.§2102(b)(3) (2002)
- RESTATEMENT (THIRD) OF THE FOREIGN RELATIONS LAW OF THE UNITED STATES §102(2)
1987年
- Matthew C. Portfield “An International Common Law of Investor Rights? “27.Pa.
J.Int’l Econ.L.79 2006年を参照
- グラミス・ゴールド社対米国政府事件に関する被告米国政府の反論覚書222頁、2006年9月19日 http:www.state.gov/documents/organization/7368.pdf
- グラミス・ゴールド社対米国政府事件に関する被告米国政府の再答弁150-154頁、2007年3月15日 http:www.state.gov/documents/organization/82700.pdf
- 米国政府の反論覚書221頁参照
- 米国政府の反論覚書233頁参照
- 米国政府の反論覚書227頁参照(「1105条1項は政府が『独断的』な行為をしないよう一般的な義務を定めている、という主張を裏付ける証拠として該当する政府の行為をグラミス側は提出できていない。」)
- 米国政府の反論覚書234頁と注1017で引用されているUsery対Turner Elkhorn Minning社事件428頁U.S.1.16 1976年(「権利や責務を再調整する法律が既に解決している期待をひっくり返す、というだけの理由で違法とはならないのは明らかである。」)、及びUnited
States対Carlton事件512頁 U.S.26,33-34 1994年(「新たに発効する法改正が個人の既得の期待を妨げることがあるかも知れないが、だからといってその法改正が法の適正手続きに違反すると見なされることはない。」)
- Lucas対South Carolina Coastal Comm’n事件505頁U.S.1003,1027-28 1992年 連邦政府による通商上の秘密の公開が徴収に当るという訴えであったRuckelshaus対Monsanto社事件467
U.S.986 1984年での最高裁判決が、法規による徴収概念を不動産以外にも適用した事例として挙げられることが多い。しかし、この判決の中では「通商上の秘密に関しては財産利害の定義にとって他者を排除する権利は中核的なものである。通商上の秘密を構成していた事実が一旦他人に公開されると、あるいは他人がその事実を使うことが許されると、その通商上の秘密を保持している者はその事実の財産利害を失ったことになる。」(Monsanto事件 467U.S.1012頁)と強調している。したがって、「Monsanto事件では問題の政府の行為は単なる財産の規制ではなく、その財産全体を直接占有することと実質的に等しいものであった。」Eduardo
Moises Penalver, “Is Land Special?” 31頁 Ecology L.Q. 227,231,n.20 2004年
<訳注>
- Non-Derogation: 既存の法令等が新しい条約により無効化するのを防止する条項。
- Level of Enforcement:遵守の水準の「水準」とは、協定違反とされる行為または不作為の範囲、債権者(救済申立人)の立証責任の範囲等を指す。
- Office of Trade and Labor Affairs:米国労働省に置かれた組織で、貿易に関連した労働政策や自由貿易協定における労働関連条項の履行に資するため、技術的な国際協力を実施する。
- Commission for Labor Cooperation: NAALC(5)に基づいて設置された国際委員会。参加国の閣僚会議や労働大臣またはその代理による政策立案・決定組織で構成される。閣僚会議等を補佐するため三国間事務局を置く。
- North American Agreement on Labor Cooperation: NAFTA加盟三国(米加墨)が1993年9月調印、94年1月発効。国際貿易協定とリンクした世界最初の雇用・労働問題に関する協定。国家間で異なる雇用制度に影響されることなく、既存のまたは新規の国内労働基準や労働法を効果的に遵守させることを目的とする。
- indirect expropriation: 国有化のように国が直接的に投資資産を収容しなくても、事後に施行された厳格な規制等により、期待された投資収益が得られなくなったと認められること。ただし個々の協定により定義は異なる。
- minimum standard of treatment: 国際慣習法上の内国民待遇など外国人の待遇に関する最低基準。NAFTAや日本ブルネイEPA等では「公正で平等な待遇」「十分な保護及び保障」規定は、最低待遇基準以上の待遇を与えるものではないとされている。
- opinio juris(ラテン語): 国際慣習法成立要件の一つとされる。ほとんど全ての人がそうすべきだと確信していることは法として適用すべきだという考え方。
- assumption of risk: 金融資産の創出(例えば社債の発行)に伴う債務不履行(信用リスク)、金利リスク、為替リスクなどを金融機関等が一定の保証料を取って引き受けること。
- nuisance law: 部外者の妨害行為により既得権益が侵害された場合(例えば近隣騒音による静穏な生活の侵害)の救済措置を定めた法。当初の救済措置は損害賠償に限られていたが、判例により差し止め命令が出されることもある。
- Denial of Benefits: 当該条項を有する条約に基づき締結国が相手方締結国の自然人・法人に対して一定の利益を供与する義務を負っていることを前提に、何らかの理由に基づき、締結国の当該義務を免除する条項。